「おお、久しぶりだなあ、こういうの」
試合を終えて黒いTシャツとジーンズというラフな格好に着替えた柏木真介は、会見場に入ってきた柏木はそこにいるメディアを見渡しつつ、そんなおおらかな言葉を口にして椅子に腰を下ろした。
5月4日。BリーグはB1のレギュラーシーズン最終節を迎え、とどろきアリーナに乗り込んだ三遠ネオフェニックスは川崎ブレイブサンダースとの2戦目を戦い終えた。
柏木は、会見に呼ばれるべくして呼ばれた。数日前に、このシーズンをもっての選手としての引退を表明していたからだ。
現役生活は21年間に及んだ。最も長く在籍したアイシンシーホース(現シーホース三河)では中心として数々の優勝にチームを導き、シーズンとプレーオフのMVPも獲得した。2006年に日本で開催されたFIBA世界選手権(現ワールドカップ)にも日本代表チームに選出された。
身長183cm、体重83kg。攻守で体をぶつけることをいとわないプレーが彼の選手としての特徴の一つだった。険しい表情だったことがその印象をことさら強くしたところもあったかもしれないが、相手には緊張と畏怖を与える選手だった。2006年の世界選手権では来日していたNBAの元名将、パット・ライリー氏(現マイアミ・ヒート球団社長)の関心を引いたともされる。
シーズン終盤に負けが込みチャンピオンシップ(CS)へ突入するにあたって、三遠にとっては決して「消化試合」ではなかったはずだが、大野篤史ヘッドコーチの計らいで柏木は2021−22以来の先発出場を果たした。
柏木「怖がらせようとは思わなかったが、負けたくなかった」
試合は100−65で三遠が勝利した。柏木もコーナーからの3Pシュートを決めた。
その後、コート上ではシーズン終了となった川崎の簡単なセレモニーが執り行われた。マイクを持ったキャプテンの篠山竜青はまず、CSに臨む三遠と彼らのファンに向けて「頑張ってください」とエールを送ると、続いて柏木に向けてこのような言葉を送った。
「柏木さん、お疲れ様でした。本当に素晴らしいポイントガードでした。入団1年目、デビュー戦がアイシンシーホースだったんですけど、柏木さんが怖くて、怖くて、ちびりそうになりながら何とか耐えていたのを思い出します」
会見で、篠山がそのように話していたことを伝えられた柏木は「言ってました? あいつ……おかしいですね」と笑った。
もっとも、柏木と対峙して緊張を強いられたのは篠山だけだったはずはあるまい。改めて、相手をそのように思わせるためにコート上ではある種意図的に「演じていた」のではないかといった質問を差し向けられると柏木は、以下のように答えた。
「何かをやって怖がらせようみたいなことはないですよ。ただやっぱり、コートに入ったら勝負ですし、負けたくないっていう気持ちが強かったですね。その中で激しくやるっていうのは当然、ありましたし……激しくやることで怖いみたいになったのか……ちょっと僕には理解できないです、ふふふ(笑)」
柏木は、こうも問われた。現在のBリーグでは所属チームの垣根を超えて選手同士が仲良くするようなことも増えているように感じられるが(移籍が圧倒的に増えたこともあるだろう)、JBLやNBL時代とは違いを感じるか、と。
北海道出身の43歳は「なんか『怖い』だけを抜かれるとちょっとあれなんですけど」と苦笑いしつつ、こう述べた。
「基本、他チームの選手との絡みというのは今ほどなかったですよね。オフシーズンにみんなで集まってトレーングをしたりといかは全然、なかったので。今は顔見知りの選手があちこちいるので、話す機会も増えたり。昔よりはチームとの接点はあるのかなと。僕も歳を取ってベテランになりましたから、いろんな選手と絡んで、優しく接して……はい、そのへんの変化もあると思いますけど」
最後の質問に答えて柏木が椅子から立ち上がると、ドアの外には篠山がいた。「うおお!」と驚いた篠山に対して、柏木は「何か、(怖いと)言ってたんだって?」と笑顔で彼に「圧」をかけた。
覚悟を持って当たらねば「飲み込まれる」
柏木が先ほどまで座っていた椅子に腰掛けた篠山は、さっそく「怖くて、怖くて」と話したことについて質問を受けた。
「勝ちに対する意欲と言うか、常に『ハンティング』をするというか。好きあらばリングを狙ってくるし、好きあらばスティールを狙ってどんどんプレッシャーをかけてやってくるしっていう。オーラというかコートに入った時の勝負師としての気迫のようなものが1年目の僕からしたら本当に刺激的でした。覚悟を持ってチャレンジをしていかないと、あっという間に飲み込まれるような、そういうものを感じながらプレーをしていたというのは、1年目の僕にとって勉強になったし学ぶものがたくさんあったなということで言いました」
今のBリーグに柏木のように「怖い」選手はいるかと問われると、篠山は黒目を上に向けて頭を繰りつつ、「パッとはあまり出てこない」と返した。
「(今のBリーグでは)みんなすごく『いい子』が多いっていうか。柏木さんとかファールで止めようとしたら殴られるんじゃないかっていう……ふふふ(笑)。今の選手にはない迫力みたいなのをコート上で醸し出す選手だったんじゃないかって思いますけどね」
指導者としても自身のような司令塔を
日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)、アイシン、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、新潟アルビレックスBB、そしてシーホースに戻り、最後は期限付き移籍で来た三遠が終着点となった。
繰り返しになるが、柏木はコートに立てばいつもそこに「緊張感」をもたらした。いわゆる「全盛期」はアイシン時代で、やがてごく自然に少しずつ枯れていったが、そこだけは最後まで変わらなかった。だからこそ、彼という選手は特別だった。
次のキャリアではコーチとなることに感心があるという。彼がどのような司令塔を作り出すのか、興味を持つ者は少なくあるまい。
三遠はポストシーズンを戦うわけだから、4日の試合が柏木の最後の試合になったわけではないということを付しておく。
篠山が入室し彼と固い握手を交わし終えると、柏木はメディアからの拍手を背に会見室をあとにした。
彼の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。